国語とは、「1人ひとりが自己と他者を理解し肯定する力」を育てる科目だと考えています。
〈他者を理解し、肯定する力〉
物語文では、自分とは異なる性格や価値観をもった登場人物の心情変化、自分とは異なる時代背景の主人公の心情変化を読み取る必要があります。
説明文では、世俗的な見解とは離れた立論、人類の叡智を基に真理を追究しにいく立論、誰も見たことのない未来についての立論について、その考察過程と結論を理解する必要があります。
どちらも、自分と異なる立場にある人物の意図するところをくみとらなければならず、こうした問題を通して、各中学入試の国語は、他者を理解し肯定する力を育てていると考えています。
〈自己を理解し、肯定する力〉
自己を理解し肯定する力については、昨今話題の自己肯定感ではないですが、より専門的には医学や心理学の領域に属するんだろうと思います。
国語の記述問題は、その力を育む土台になると考えています。
今まさに感じていることですが、ブログ等含めて自分の考えを整理し、自分がこのように考えているのだと認識することは、自分を理解することにつながります。
聞きかじりですが、日記がカウンセリングに使われるというのも、こういう意味合いなのでしょう。
とはいえ、小学生にとっては最初は一行書くだけでもしんどい。大人でもそうだと思いますが、頭の中で感じられることと、それを文字や口頭で表せることとの間には壁があります。
頭の中で≧≦∃∆≡=∼な感じで楽しかったことを、最初は「楽しかった」としか表現できません。
忘れてしまっていますが、自分にも、これを読んでくださっているみなさんにも、その時期はあったんだと思います。
そこで、ひとまず、他者の文章を使って、その内容を整理、要約する。それと同時に単語や用語、言葉の使い方、説明の仕方を養っていく。
こうして、1秒1秒ストックされていった語彙力、構成力は、いつか自分から湧き出るものを残すために必要な記述力に転化する。
このように考えています。
最近は、自分から湧き出たもの自体を評価しにいっているのではないかと思われる問題も出ており、この傾向がどうなっていくのか、とても気になっています。
就活の際には書く力が必要だよ、とか、働いてからは専門書読む必要出てくるよとか、企画書書いたり、取引先とやりとりするときに記述力が必要だよとかのほうが、多くの小学生にはメリットがよく伝わるので、こういう内容を授業で話すことは、ほとんどありません。
わざわざ話すとダルく思われて、かえって遠のいてしまう気がするんですよね。
授業で伝えられない代わりに、一応自分としてはこんな想いで国語に取り組んでいるという自己紹介でした。