1人ひとりが自分と他人を肯定できる社会へ

営業と教育の緊張関係

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住所
123 Main Street
New York, NY 10001

営業時間
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土日: 11:00 AM – 3:00 PM

かなり前の話になるが、高校の友人と飯に出かけた。

めちゃくちゃイイやつで、人として尊敬している。

新卒で営業職になり、そのまま営業で出世コースを歩んでいる。ちょっと古い言い方かもしれないが、いわゆる天才営業マンだ。

そいつが、冗談っぽい口調で、

営業は、顧客が欲しいものを売っては意味ない。

顧客が欲しくないものを売れるのが、営業なんだ。

と言っていた。(本人は面白いトーンで言っていたんだが、全く表現できていない。)

なるほどな、と納得した。

確かにもともと顧客が欲しいものを売った場合、営業担当がいなかったとしても買ったであろうから、営業がそこにいる意味は薄い。欲しくないものを売ってこそ、営業がいる意味がある、ということなんだろう。

冗談っぽい口調で言いながらも、きっと信念になっているんだろうなと感じた。

ただ、これをふと教育事業に当てはめたとき、寒気がした。

「顧客が欲しくないものを売る」ということは、授業にあてはめれば、生徒にとって必要のない授業を売ることを意味する。

お金はまだしも、必要のない授業に当てた時間は永遠に戻ってこないし、その時間を有意義に使ったライバルとの差は確実に広まる。

講師にあてはめれば、生徒にとって必要のない講師を売ることを意味する。

生徒にとって必要のない講師とは、合格させる力を持っていない講師のことだ。

合格させる力を持ってませんよと言って、保護者は了承しないだろうから、合格させる力を持ってますと話すのだろう。

その講師を信じた生徒と保護者は、不合格する。

詳しくは話せないが、上で話した友人は少なくとも教育関係の会社では働いていない。

なんというか、上の信念で働いていても腑に落ちるというか、必要のないものを売るといっても、本当に必要のないものを売っているのではないというかそんな感じだ。

しかし教育の場合、お金だけでなく、時間や生徒の合格可能性が犠牲になるから、取り返しがつかない。

「その講師の、その授業を受けていなければ、受かっていた」がありうる。

営利団体として永続していくため、営業ポジションを置くことはありうる判断だし、むしろ多くの企業が営業をおいている。花形ポジションの企業も多いだろう。営業をやっている友人はいいやつが多いし、社会全体としては必要な職種だと思っている。

だが、誠実に教育をしようと真摯に生徒や保護者に向き合うのであれば、営業の置き方は慎重でなければならないのではないだろうか。

サピックスは営業を雇っていないし、講師が営業する時間を1分たりとも作っていないから、若干ポジショントークな気がしないでもないが、他塾さんの営業を置いていないと発言している動画を見て、改めて思ったというか思い出した。