1人ひとりが自分と他人を肯定できる社会へ

「優しい講師」と「怖い講師」

アクセス

住所
123 Main Street
New York, NY 10001

営業時間
月〜金: 9:00 AM – 5:00 PM
土日: 11:00 AM – 3:00 PM

優しい講師と怖い講師、どちらがいいのか、講師から質問されることがある。

自分は1人の中に優しい講師と怖い講師両方いることが必要だと考えている。

初めて講師になったのは、18歳だった。数カ月前まで、怒る講師を「ダサい」と感じていた高校生だったので、自分は「怒らない方法で指導しよう」と優しい講師を目指した。

元々、他人に怒る性格でないこともあって、優しい講師になることは難しくなかった。理由がないと行動できないタイプでもあったため、理由を伝えることも難しくなかった。

当然生徒や保護者からの評判はよかった。多くの講師は怒る(当時)ので、自分のような講師は生徒や保護者からしたら、珍しかったのだと思う。

ただ、これは中間〜上位層のクラスだけだった。

その後下位のクラスを持たせてもらった自分は、同じように優しい講師として指導したが、即授業が成立しない状況となってしまった。授業崩壊である。

下位クラスでは、そもそも理由を理解できないのだ。「優しい」は「弱い」とみなされてしまい、「弱い」やつの授業は遊んでもよいとなってしまう。

多くの講師が怒るのも、これが理由だと今は分かる。理由が説得的でも、理解できない、聞くことができない生徒は存在する。そういう生徒に対しては怖さを演出し、「怒られたくないから言うことをきく」状態にしなければならない。

自分は優しい講師をベースにしたかったから、怖さを演じたあとは優しい講師に戻すことにしている。が、そのようなこだわりがなければ、怖いままのほうが授業は成立させやすい。怖い講師が多いのには理由がある。

とはいえ、昨今はコンプライアンスが厳しく叫ばれているし、怖い講師への風当たりは強くなっている。

優しい講師と怖い講師を両立させ選択することは、今後ますます重要になってくると思う。